【2025年度・第3回】8月29日開催記録
- さちえ 水野
- 9月11日
- 読了時間: 8分
更新日:9月12日
「企業価値に資する人的資本経営コンソーシアム」の第3回研究会は、2025年8月29日(金)に慶應義塾大学三田キャンパスにて開催されました。前回を上回る80名が参加し、オブザーバーの方々には2階席も開放されました。

プログラム 1)
「これからの経営人材育成論」 立教大学経営学部 准教授 田中聡先生
人材マネジメント論や組織行動論がご専門の、田中先生による講義です。人材マネジメントの最重要テーマであり続ける「次世代リーダー育成」について、田中先生は従来の「候補者を選抜できない」「成長に資するポストに異動できない」「経営ポストに抜擢できない」という古典的な問題に加え、近年は「候補者そのものが少ない」「修羅場経験を評価できない」「現職の経営人材を支援しない」という“シン・3大問題”が生じていると指摘されました。

また、管理職の延長線上に経営人材は存在せず、計画的・戦略的な育成が必要なのだそうです。与えられた課題を効率的に解くのが管理職の役割であるのに対し、経営人材は将来を構想し課題を創り出す役割であり、質的に異なります。つまり「成果を上げた管理職=経営人材候補」という考えは誤りなのだそうです。
さらに、経営人材育成に重要な三点を説明されました。第一に、候補者を早期に選抜すること。40代からでは遅く、20代からタレントプールに入れる必要があります。第二に、実績だけでなく性格特性やソーシャルスキルを重視すること。リーダーには人を巻き込む力が求められ、同時に不正につながるリスク特性も見極める必要があります。第三に、一泊二日の研修ではなく、挑戦的な異動や責任を伴う「タフアサイメント」による中長期の育成です。加えてその経験を内省し、自分の成長に結びつける仕組みも欠かせないとのことでした。
経営人材育成は人事部だけでなく、CEOやCHROが主導して取り組むべきテーマです。事業部による人材囲い込みを防ぎ、候補者に健全な特別扱いを行いながら、挑戦と振り返りを支援する仕組みを整えることが欠かせません。田中先生は「経営人材育成は生まれ変わりレベルの変容である」と強調しました。未来を構想し変革を導く人材を育てるために、発想の転換が求められています。
講義後のグループディスカッションでは、「経営人材の早期発掘の難しさ」や、「育成・選抜のプロセスにおける制度上の課題」、長年重要視されながらも実現度が低い状況に変わりがない一方で、人的資本経営や投資家からの開示要請が強まったことによる「喫緊性の高まり」などが話し合われました。
プログラム 2)
「シナリオプランニングで育む次世代―
越境×対話×探求が導く共創イノベーションの旅」
横河電機株式会社 未来共創イニシアチブ プロジェクトリーダー
玉木アンドアソシエイツ株式会社 代表取締役 玉木伸之様
横河電機で長年経営企画やグローバルマーケティングに携わり、人材育成や組織変革に取り組む玉木さんに、「シナリオプランニング」を軸にした次世代リーダー育成の意義と実践についてお話していただきました。

シナリオプランニングとは、将来の不確実性を前提に複数の未来像を描き、そこから現在の行動を考える手法です。もともとは軍事戦略に由来し、ビジネス分野では1973年のオイルショックを乗り越えたロイヤル・ダッチ・シェルグループが活用したことで知られています。玉木さんは約20年前にこの手法を導入して以来、単なる経営戦略立案の枠を超え、人材育成の強力な場として発展させてきました。
その背景にあるのは、VUCAやBANIに象徴される、予測困難で不安定な時代認識です。偽情報や地政学リスクといった短期的な脅威から、気候危機や生態系崩壊といった長期的な社会課題までが山積する中、企業のサプライチェーンや事業モデルの変化は避けられません。こうした状況下で、若手が早くから未来を構想し、物事を包括的に捉える力を磨くことが不可欠だと玉木さんは語ります。
そこで横河電機では、2021年に若手社員を中心とする「未来共創イニシアチブ」を立ち上げました。対象は多様な部門や職種からなる20代半ばから40代前半のノンマネージャー層。2035年や2040年といった長期視点でシナリオを描き、経営層に提案する活動を続けています。メンバーは社長直轄の組織横断変革チームとして位置づけられ、本業と並行してこの全社的なプロジェクトに携わる「社内副業人材」として活動しています。
このプロセスで培われるのは、従来型のリーダーシップとは異なる能力だといいます。例えば「オルフェウス・プロセス」と呼ばれる自律型チーム運営を通じて、誰もがリーダーでありフォロワーでもあるという感覚が養われます。また、システム全体を俯瞰する力、本質的な問いを立てる力、ステークホルダーを巻き込む対話力と実行力も重視されます。こうした力が、AIの活用や外部連携を含めた新しい経営の基盤になるとのことでした。
さらに横河電機では、早稲田大学と「Green Phoenix Project」を設立し、産官学のリーダーが参加する共創コミュニティを運営。社内外のネットワーク形成を通じて、変革をリードする「バウンダリースパナー」となる人材を育てているそうです。玉木さんは、人材育成を「成長を急ぐのでなく、長期的に醸成するもの」と表現し、多様な経験が時間を経て効いてくることを強調されました。日本企業には、戦略よりも個別の戦術や実行、また問題発見よりも目の前の問題解決に偏りがちな傾向があると言われます。だからこそ、未来を共通言語として描き、組織の学習や価値共創につなげるシナリオプランニングが重要であり、これは変化の時代における次世代リーダー像を示す示唆に富む実践例となる、と締めくくられました。
その後のグループディスカッションでは、参加企業における事例として、経営層や有識者が読んだ書籍や考え方を社員に共有する仕組みが紹介されました。それに加え、講演者の玉木さんが示したような、外部環境を深く理解し経営陣と対話できる「架け橋」人材をいかに発見・育成していくかについても、議論が交わされました。
プログラム 3)
「経営戦略の進化 経営戦略の最新潮流は、経営戦略と人的資本管理をつなぐ」
慶應義塾大学 総合政策学部 教授 琴坂将広先生
経営戦略や国際経営などがご専門の、琴坂先生による講義です。冒頭、「現在ワークフローをAIネイティブに移行中で、本講義のスライドもAIが作成しました」と話す琴坂先生は、経営戦略と人的資本管理の統合が避けて通れない時代に入ったと指摘しました。従来の経営戦略論は外部環境分析や内部資源分析を中心に据え、一定の予測可能性のもとで優位性を築くものでした。しかし、デジタル・ディスラプション(デジタルによる創造的破壊)や市場の不確実性の高まりなどによって、抽象的な理論は現場の実践と乖離しつつあります。「今、企業が成果を上げるためには『大きな選択』よりも『小さな実践』の積み重ねが重要」と強調しました。

さらに講義では「マイクロファンデーション・アプローチ」が紹介されました。これは企業や産業レベルの現象を、個人・チーム・ルーチンといったミクロな相互作用から説明する視座です。琴坂先生はレストランを例に挙げ、単に「良い料理」という成果だけでなく、シェフの技術習得やチーム連携、食材調達といったプロセスを設計することが戦略の実体であると説きました。つまり戦略は机上の構想ではなく、日々の行動や仕組みによって再現される体系だということです。
一方で、成功企業ほど陥りやすい「認知バイアスの罠」についても触れました。過信によるM&Aの失敗や、既存顧客重視から新技術を軽視するイノベーションのジレンマなど、バイアスは適応力を損ないかねません。そのため、組織的な「デバイアシング」の仕組みが求められるのだそうです。琴坂先生は、プレモーテム分析(失敗想定)やデビルズアドボケイト制度の導入、認知的多様性の確保、人材の新陳代謝といった実践は、意思決定の質を高める効果があると説明しました。
さらに、情報ツールや空間設計も戦略に直結すると強調しました。Amazonの「6ページナラティブメモ」やトヨタの「A3報告書」のようなフォーマットは、意思決定の質を左右します。Pixarの「中央アトリウム設計」やShopifyの「静寂時間」は、偶発的な交流や生産性向上を促す仕掛けです。こうした要素は単なる補助ではなく、戦略そのものを形づくる基盤になると指摘しました。
最後に、人的資本経営を経営戦略の中核に据えるべきだと結論づけました。経営者の認知特性やバイアスの管理、実践環境のデザイン、創発と統制のバランスが組み合わさることで、戦略は実効性を帯びます。琴坂先生は「細部の統制を積み上げることで、戦略は計画から行動体系へと変わる」と述べ、管理職に対して、日常の小さな実践を通じて人的資本を戦略と結びつける重要性を訴えました。
講義後のグループディスカッションでは、数年単位で変化する経営戦略と10年スパンで設計される人事制度との「時間軸のずれ」に対する整合についてや、人材活用と制度設計における課題、危機を契機に企業文化や人事制度が変革した事例などが話し合われました。
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10月16日(木)の第4回研究会は、「マネジメント・コントロール・システムのデザイン(仮) ~会計数値と人事システムの関わりを考える~」「人的資本経営ストーリーのつくりかた(仮)」「価値共創に向けたJ.フロント リテイリングの人財戦略(仮)」の3テーマにて開催予定です。どうぞご期待ください。

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