【2025年度・第5回】11月13日開催記録
- さちえ 水野
- 1月12日
- 読了時間: 9分
「企業価値に資する人的資本経営コンソーシアム」の第5回研究会は、2025年11月13日(木)に慶應義塾大学三田キャンパスにて開催されました。インフルエンザが流行の兆しを見せるなか、66名が参加しました。

プログラム 1)
「ファイナンス理論から見た人的資本経営というディレンマ」
大阪公立大学 経営学研究科・商学部 教授 宮川壽夫先生
コーポレートファイナンス理論がご専門の、宮川先生による講義です。講義の冒頭で宮川先生は、「人的資本経営」という表現が注目を集める一方で、その概念自体があいまいなまま議論が先行しているのではないかという問題意識を率直に示されました。

そもそも「人的資本」でいいのか? もしも「資本」と呼ぶのであれば、「資本」の原義から「誰が」「どのようなリスクを取って」「どのようなリターンを取るのか」が本来は明確に説明されなければなりません。とはいえ従業員自身が投資家のようなリスクを負ってリスクに応じたリターンを享受できるわけでもありません。宮川先生は、「人的資本という言葉自体が企業評価の実態と明確にかみ合っていないのではないか」と指摘されました。
この議論の背景にあるのがファイナンス理論です。企業は株主と債権者からの出資によって資産を取得し、そこからキャッシュを生んで最終的に株主へと配分します。バランスシートの本質は、「会社は株主のものである」という構造を語り、資産のコントロールを経営者が一任されるかわりに株主はモニタリングを強めます。しかし株主のコントロールが強まりすぎれば、経営者や従業員のモチベーションは低下し、企業特殊性の高い能力(いわゆる人的資産)を他社へ持ち出すことも可能となります。宮川先生は株主と経営者の緊張状態を「恐怖の均衡」と呼び、ガバナンスが効きすぎても事業は成立しないと説明されました。
さらに、ROEの改善が「宿命的に難しい」理由として、利益率の低減と自己資本の自然増加を挙げられました。資本の使い方を変えない限りROEは低下していくため、経営者は資産の入れ替えや活用方法の刷新といった「非連続な意思決定」を迫られるとのことです。ここに人的資本が貢献する余地についての示唆がありました。
講義の後半では、日本企業が抱える構造的課題にも踏み込まれました。市場の縮小や新規事業の停滞、従業員の疲弊といった現象は危機感の欠如ではなく、「構造的無能化(structural incompetence)」と呼ばれる組織の硬直化によって生じるのだそうです。宮川先生は、「規則や慣行が従業員の創造性を封じ、本来の知的資産が活かされない状態に陥っている」と指摘されました。
では、企業はどうすればいいのでしょうか。宮川先生は、人的資本を語るうえでは「自社だけが持つ特殊性」や「他社が模倣できない理由」を経営者が説明できる必要があると述べました。企業固有の無形資産による差別化こそが企業価値を決め、より高いリターンが期待されるとのことでした。
講義後、「構造的無能化を打開する、あなたの企業の人的資本とは何ですか」というテーマで行われたディスカッションでは、「単に人材を育てるだけではなく、多様なキャラクターが活躍できる文化そのものを整えることが差別化につながる」という意見が共有されました。宮川先生からは「企業に“歴史的に保存されてきた根底の価値”の存在」が示唆され、「建設労働者の動機に関する研究(Mark Morgan(2012))」が紹介されました。
プログラム 2)
「人的資本経営とシニア活用」
株式会社パーソル総合研究所 シンクタンク本部上席主任研究員 藤井 薫様
タレントマネジメントを中心とした調査研究を行い、著書『人事ガチャの秘密』『ジョブ型人事の道しるべ』(ともに中央公論新社)でも知られる藤井さんによる講演です。

人的資本経営が進む中で、深刻化する人材不足に対して企業が依拠すべきは、実は社内に厚く存在する50〜60代層です。藤井さんはこの層を、「活用」ではなく「賦活(ふかつ)」すなわちモチベーションや能力を引き出し、再び活性化させる対象として位置づけるべきだと指摘されました。
しかし多くの企業では、50~60代は余剰人材とみなされ、役割期待の低下や処遇の下方修正、モチベーション低下が連鎖して、「活躍していないように見える」構造を生んでいるそうです。講演ではパーソル総合研究所による「企業の60代社員の活用施策に関する調査」の内容が紹介されました。正社員として20年以上勤務した60代を対象とした調査では、60代前半で働く人の95.8%、後半でも89.3%が就業を続けており、高い就業意欲を持っています。一方で彼らの半数は「担当者としてのパフォーマンス発揮を期待されていない」と感じており、職場で尊重されていると答える割合も5割前後にとどまっているそうです。役割が曖昧なまま期待値を下げられることで、自分の役割が重要だと捉える人も半数に満たないという、個人の能力ではなく企業側の設計に起因した「活躍実感の欠如」が浮き彫りとなりました。
藤井さんは、背景には日本企業に根強く存在する「年齢・年功による処遇体系」があると説明しました。調査によると給与が年功的な企業ほど20〜30代が不足し、50〜60代は過剰と見なされる傾向が強いそうです。若手は安価で評価し、中高年は高コストとして扱われる結果、50代以上の人材を「過剰」と判断してしまうのに加えて、60歳到達時に平均28%の年収ダウンが起こり、職責も 軽減される企業が約4割にのぼります。これにより、仕事のモチベーション低下、会社への忠誠心低下、自身の価値の低下感が顕著に表れるのです。藤井さんは「やる気の有無で生産性は3倍違う」と述べ、制度側が意図せぬ生産性低下を誘発している現状を指摘されました。
一方で、企業の対応は二極化しつつあるそうです。近年、60代の処遇を引き上げる企業が増え、既に引き上げた企業は25.7%、今後引き上げ・検討中の企業は56.3%にのぼります。年収の下げ幅を縮小する企業も増え、シニアを戦力として捉え直す動きが一部で加速。転職市場でも40代後半までは比較的動きやすくなっており、企業側がシニア人材の魅力を再評価せざるを得ない状況が近づいているそうです。
藤井さんは、「活躍する人だけを見るのではなく、企業の大半を占める“普通の人”をどう賦活するかが人的資本経営の核心である」と強調されました。50〜60代は正社員の約4割を占める層であり、この層が“半現役”扱いで不活性化している現状は、組織全体の持続可能性にとって看過できない課題です。藤井さんは、「人的資本経営を掲げるのであれば、経験やスキルを備えたミドル・シニア層を適切に評価し、明確な役割と期待を提示し、モチベーションを取り戻す仕掛けを構築できるかが、今後の企業競争力を左右する」と講演を締めくくりました。
講演後に行われた、「60代(または50代後半)の社員の活用(賦活)」に関するディスカッションでは、長期にわたって同じ業務を担当することによる“飽き”とモチベーションの低下、役割・キャリアの見通しがパフォーマンスに与える影響、60〜70代まで働ける仕組みづくりのための役職定年の必要性などが話し合われました。
プログラム 3)
1.「人的資本から見た日本の大手資産運用会社の課題」
アモーヴァ・アセットマネジメント株式会社
サステナブルインベストメント部共同部長
小松 雅彦様
日本株のスチュワードシップ活動(エンゲージメントや議決権行使)及びESGインテグレーション(投資プロセスにESG要素を組み込むこと)がご専門の小松さんに、大手資産運用会社における人的資本についてご講演いただきました。

日本の大手資産運用会社は、世界大手と比べて存在感が低く、その背景には、人材マネジメントやガバナンスの構造的課題があるそうです。小松さんはまず、米国勢がトップ10の大半を占める世界ランキングを示し、国内運用会社が世界市場で競争力を発揮できていない現状を指摘しました。また、米国では家計金融資産の投資比率が高く、巨大な市場規模が運用会社の成長を後押ししている一方、日本の運用会社は国内顧客が中心で、成長余地が限定されていると述べました。
さらに、経営トップの特性にも大きな差があるそうです。世界大手では資産運用ビジネスの経験を持つ内部昇進者が多数を占め、在任期間も長い一方、日系大手ではグループ内ローテーションで運用経験のない社長が就くケースもあり、在任期間も短いそうです。これにより、長期的な経営戦略の不在やガバナンスの弱さが課題として浮かび上がるようです。
運用プロフェッショナルの扱いにも違いがあるそうです。世界大手はジョブ型で業績給が徹底され、成果に応じた報酬とキャリアが明確に連動するのに対して、日系大手は報酬カーブが緩やかで、定年によって優秀なファンドマネジャーが年齢だけで退くケースも多く、人的資本の毀損につながっているとのことでした。
小松さんは、日本の運用会社が競争力を高めるには、経営トップのプロ化、ジョブ型人事制度への移行、その結果としての定年制の見直しなど、人材マネジメントの抜本改革が不可欠だと強調されました。人的資本を無形資産として捉え、その価値を企業価値に結び付ける発想への転換が求められているのです。
2.「人的資本が企業価値を動かす:機関投資家の視点から見るデータ分析」
アモーヴァ・アセットマネジメント株式会社
COOI-Japan 兼インベストメント・テクノロジー運用部長
兼 ポートフォリオ管理部長 寺口政行様
インベストメント・テクノロジー運用部
インベストメント・スペシャリスト 回渕 純治様
各種データ分析を活用しつつサステナブル投資などに取り組む寺口さんと回渕さんより、機関投資家の視点から人的資本と企業価値との関係をデータでお示しいただきました。

まず、ESGにおける「人的資本」への評価を巡り、企業と投資家の間に認識のギャップが存在すると指摘。企業は人的資本を重要なESGテーマと捉える一方で、投資家はそれを成長戦略・企業価値向上の中核と位置づけているそうです。人材投資が収益力にどう結び付くかについて、企業側の確信が十分でない可能性が示されました。
続いて、外部ESGデータと株式リターンを用いた長期分析の結果をご紹介いただきました。2014年以降の国内時価総額上位企業を対象にした分析では、人的資本に関する評価が、他のESG要素と比べて最も強く株主価値と結び付くことが確認されたそうです。特に教育研修、労働安全などの取り組みが、将来のリターンと相関する傾向が示されました。
さらに、人口減少と高齢化が進む日本経済の制約条件を踏まえ、成長のカギは「労働生産性の向上」にあると強調されました。その評価軸として①人材投資効率、②労働分配率、③経営者予測の慎重度という三つの尺度があり、これらを総合的に満たす企業は、事後的なROEの改善や株式リターンで優位性が示されるそうです。人的資本への戦略的投資は社会的価値にとどまらず、投資家から見ても企業価値向上に直結する経営判断であることが示唆されました。
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研究会後は、キャンパス内のファカルティクラブにて懇親会が行われました。2025年の研究会での学びや交流を踏まえ、大きな盛り上がりを見せました。
12月3日(水)の第6回研究会は、「人的資本経営時代、採用難に向き合うコーポレートコミュニケーション」、「HRBPの役割と実践〜IT企業の事例から〜」、「生成AIと人的資本経営」の3テーマにて開催予定です。どうぞご期待ください。

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